私がうつになるまで②

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闘病ブログ

こんにちは。昨日から急に寒くなりましたね。しばらく天候も不安定なようで体調を崩さないかすこし心配です。

今日は大学時代から社会人までのお話を書きたいと思います。

 

大学進学する際、父の東京への転勤が決まり、私自身も東京の大学を受けることになりました。

今日は大学時代から社会人のお話を書きたいと思います。

それまでほとんどの時間を愛知県で過ごしたので見知らぬ土地に行くのはちょっと心配で、大学受験もかなりプレッシャーにやられました。

結果は滑り止めで受けた大学にギリギリ引っかかった、、という感じです。

私は極度の人見知りなので入学するまではかなり心配していましたが、同じクラスのみんなは私のように滑り止めで受けたような子たちばかりでみんな真面目で良い人たちばかりでした。

大学時代はこれまでのような他人とのいざこざもなく、平和に過ごせて、東京にきて良かったなと本当に思ってます。

バイトを朝から晩までしたり、夏休みに短期語学留学でニュージーランドに行ったりとこの頃はかなりアクティブに過ごしていました。

そして、今の旦那さんとも出会いました。

大学時代は友達はたくさんできなかったものの今でも仲の良い友達もでき、とても充実していたと思います。

就職活動は結構大変でしたが、ずっと憧れていた旅行会社の法人営業への就職も決まりました。

明るい社会人ライフが待っている!!そう思っていたのですが、ここからだんだんとメンタル不調が続いていくのでした、、、

配属された部署には私の他に2人の同期。

仲はいいのですが、サボり癖のある同期の中でも問題児だった男子2人でした。

最初の頃は3人で先輩の仕事の手伝いをしていたのですが、2人はサボり、私だけ作業する。何か問題があれば連帯責任。残業多いのに残業代は支店長の裁量で数時間しかつけれない。社会って理不尽だなって思いました。

憧れの社会人ライフと現実のギャップに悩み入社後1ヶ月くらいで仕事に行くと気分が悪くなったり、会議室で急に涙が止まらないことが出てきました。

さすがにこのままだとダメだと思い、初めて心療内科へ。自律神経失調症だと診断されました。

その後も仕事に入っていたものの休むことも多くなり、仕事に行けても不安定な日々でした。そんな時上司が気にかけてくれ、内勤にしてくれました。

内勤になってからは同期とは別の仕事になり、残業もかなり減ったので体調的には楽でしたが、1年が経った頃、会社の合併が決まりこのまま内勤として続けることが保証されないかもと言われました。

もう営業には戻りたくないと思っていたので退職し、通信会社での一般事務へ転職しました。

ここからがうつの始まりでした。。。

配属された部署があまりいい環境ではありませんでした。

教育係だった方が出産で入社2週間後に退職、その後教えてくれる方はおらず、自力でマニュアルを探したり調べたりしなければなりませんでした。

また契約社員なのに正社員と同じように携帯電話が支給され、時間外や土日もいつ携帯がなるのか冷や冷やして過ごしたり、何もわからないのに1人で土日出勤させられて、委託先会社のエスカレーション対応をやらされたりとかなり精神的に苦痛な環境でした。それなのに正社員の方々は仕事中ふらっと休憩に数時間消えたり、デスクで居眠りしたり、定時ですぐ帰ったり、、、これで給料2倍以上貰ってるのかと思ったら働くのがバカらしくなりました。

1年半ほど耐えましたが、ある日突然朝体が全く動かなくなりました。起き上がることも仕事に行くこともできなくなりました。

数日間そんな日が続き、病院に行きました。

うつ病との診断。。。やっぱりか、って感じでしたね。

それから仕事には全く行けず契約満了で退職しました。

私がうつ病になるまでの経緯を書いてみました。

次回からはその後の生活〜今に至るまでを書きたいと思います。

 

長くなりましたが最後までお読みいただきありがとうございました。

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